とっつぁんnote

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ドラマ『シッコウ‼︎』を見て実家のことを思い出す

昨年夏に放送されていたドラマ『シッコウ‼︎〜犬と私と執行官〜』。

明るいテイストで楽しく見れつつ、執行官という仕事を通してちょっと現代の問題点などについても考えられます。そして話がめちゃくちゃ安定してるので、なんというか、安心して見れます。
脚本家、大森美香ですからね!

大森美香と言えば最近だと大河ドラマ『青天を衝け』(すみません、最近大河は体力なくて見る気になれず…)ですが、個人的には『ランチの女王』や『不機嫌なジーン』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』『あさが来た』あたりが好きです!軽妙なやりとりが面白く、ヒロインがいつもかわいい。脇役含め、登場人物みんなのことが好きなってしまうような書き方をしてくれる人だと思います。
ドラマの脚本に大森美香の名前があれば「とりあえず見てみようかな」となる脚本家です。

『シッコウ‼︎』も例に漏れず、テンポもよくて面白いです。伊藤沙莉ちゃんと織田裕二も想像以上に相性がいい。普通なら完全に伊藤沙莉ちゃんが主役なんだけど、織田裕二に存在感がありすぎて、なんとなくこの2人が主役っぽくも見えます。たぶん他の人がやってたらそんなに主役っぽくないと思うんですよ。織田裕二がやってるから主役っぽく見えるって、やっぱり織田裕二って脇にそっと存在することができないようなオーラがあるんですよね。(ああ、なんかまた「踊る大捜査線」が見たくなってきた…)

ドラマはタイトル通り「執行官」を題材にしたお仕事コメディ。「執行官」というのは国家公務員で、強制執行によって財産、金品、不動産などを差し押さえたり、没収したりする仕事だそうです。
執行は本当に容赦ありません。差し押さえ、没収、明け渡しと、本人が嫌がろうが立て篭もろうが逃げようが、鍵屋である執行補助者が泥棒さながらに鍵を開け、運送会社の執行補助部門担当が手際良く荷物を運び出していきます。

相手が老人でも小さな子供がいても執行は行われるので、正義でありつつ、描き方によってはどうしても無情な印象を与えちゃう可能性もあったと思うんですけど、このドラマはギリギリのラインでそれを回避して、なんなら執行を人生の「リスタート」として描いています。
執行官役の織田裕二のキャラクターもよくて、自分の仕事に誇りは持ちつつ、案件を機械的にこなすのではなくその度に若干の迷いも見せながら、対象者の今後のことも考えてそれでも仕事を忠実にやり抜く姿は人間味もあって好感度高いです。
執行される人たちは状況を見るとどん底なんですけど、そこからまたどうにか踏ん張って一歩踏み出そうという人を心打たれるものがあります。

個人的に第6話の、息子が借金の担保に勝手に部屋を抵当に入れていたため、住んでいる部屋を出ていかなくてはならなくなったおじいちゃんと孫の話がよかったです。
本当に、このおじいちゃんは何も悪くないんですよ。全て息子が勝手にやったことなんですけど、家は既に競売され、購入した若い夫婦はお金も払ってる。でもおじいちゃんが引き渡し期限を過ぎても出ていかないので、夫婦が執行を頼んだ、という流れなんですけど、本当にこんな状況になったら絶対納得できないですよね。だって、その家は自分と奥さんで頑張って働いて買って、ずっと住んできた家なんですよ。それをバカな息子(育てた責任とか言われたらどうしようもないですけど、ある程度大人になったらもうそいつ自身の責任ですよ)のせいで突如出て行くように言われるわけです。訳がわらないくらい理不尽です。
でも、家を買った側(若い夫婦)から見たら、ここに住もう!と決意して貯めてきたお金も払って、なのに住人はいつまで経っても出て行こうとしない。お腹の子供もどんどん大きくなる。余分にお金を支払って執行してもらわなけらばいけない。こっちも理不尽なんですよ…。

おじいちゃん役をでんでんがやってたんですけど、めちゃくちゃ役に合ってました。
でんでんは強制執行当日まで「出て行かない」という強気な姿勢を崩さないのですが、当日、執行官たちにより強制執行が目の前で行われるのを見て現実を見ます。
強制執行が完了して、孫と2人荷物を持って家を出てきたでんでんの前には次に住む若い夫婦がいました。
そこででんでんが急に声をかけて、みんな「何言い出すだ?!」とぎょっとするんですが、でんでんは自分の家のことを伝え出すんです。給湯器の調子が悪いから最初から水を出したほうがいいこと、襖は犬が噛んだので張り替えたほうがいいこと、ベランダは朝しか陽が当たらないこと、でも、朝日がとてもきれいなことーー。
若い夫婦もでんでんに、丁寧に住んでいたことがわかること、自分たちも大切に住むことを伝えてくれます。


……涙腺崩壊。
家ってすごいですよね。家のいたるところに住んでいた間の思い出が染み付いて、もうただの家じゃないんです。不便なところ、汚れているところまでも、文句を言いつつ愛着すら出てしまう。
でんでんが、自分の子供の欠点を伝えるように、自分が住んできた家の欠点を伝える姿に胸が熱くなりました。

少し話逸れるかもしれないんですけど、先日、実家で甥っ子や姪っ子と会って、家の中でかくれんぼをしたんです。(うちの保育園児の要望です)
その時に、1番上の甥っ子(高校生)が「とっちゃん(※私の名前ちゃん付け)の部屋とか探した?」って言っていたのでびっくりしました。
「とっちゃんの部屋」。
確かにその部屋は昔、私の部屋でした。
でももう家を出て十数年経ち、その部屋は私の母の刺繍部屋になっています。私の子供たちに「ここは昔お母さんの部屋だったんだよ」と話したこともありますが、子供たちは私が「ばぁばの家」に住んでいたということも実感が湧かない様子ですし、私たち家族はその部屋を「ベッドのある部屋」と呼んでいるので、甥っ子の「とっちゃんの部屋」という言い方に、とてつもない懐かしさを覚えました。
1番上の甥っ子が小さい頃、私はまだ実家にいました。歳の離れた姉が小さい甥っ子を連れて遊びに来た時は、リビングでよく一緒に遊びました。ようやく言葉を話せるようになった甥が「とっちゃーん!」とヨダレを垂らしながら私めがけて廊下を走ってきたことをよく覚えています。
私があの家で育ったこと、あの部屋を自分の部屋として使わせてもらったこと。甥っ子にとってあの部屋は、今でも「私の部屋」という認識なんだということが、なんだか嬉しい気持ちになりました。
そんなことを思い出した『シッコウ‼︎』第6話でありました。

ラスト、大きな荷物を抱えて去って行くでんでんと孫を見て、荷物運びを手伝う駆け寄った伊藤沙莉に、文句を言いながら歩みを止めることなく、荷物を道にどんと落としていったでんでんが好きでした。

いつのドラマの話してんだよ、と思いつつ、現代は配信という素晴らしい文化があるので良しとしてください。

 

おしまい!